免震講座 04

地震への挑戦:耐震・免震・制震構造の歴史 -その3-

海外及び日本に見る免震構造の発展史 その3

1970年前後を境として地震への挑戦は研究段階から実用化段階へ一歩踏み出し、実際の免震構造物が世界各地で少しずつ建設されはじめます。

スコピエの免震小学校

マケドニア共和国の首都スコピエは、1963年の地震で 5万戸の建物の約半数が倒壊、中破まで数えると80%以上という壊滅的被害を受けました。 ユネスコを中心として各国から災害復興援助が行われ、スイスの援助により1969年、地震対策用として世界で初めてゴム支承を採用した免震建築物、ハインリッヒ・ペスタロッチ小学校が完成します。 壁式RC造 3階建の比較的小規模な校舎に使用された免震装置は、厚さ 7cm一辺70cmの正方形のゴム板を 5枚貼り合わせたゴムの固まりで、約50トンの荷重によって写真のように膨らんでいます。 この手作りのアイソレータ、クリープ対策用の手の込んだ基礎、既に苔むした風揺れ拘束用の泡ガラスブロックなどから世界初挑戦として三次元免震に取り組んだエンジニアの情熱が伝わってきます。

ニュージーランドの免震鉄道橋

1974年に着工されニュージーランド免震の先駆けとなったのが "South Rangitikei Viaduct" です。 羊と牛の群れる平原、その緑を鋭く刻み込んだ渓谷の上空80m を長さ315mのコンクリート製鉄道橋が横切っています。 両岸を岩盤に挟まれたこの橋梁は、橋軸直角方向の運動を2本の橋脚の上下方向の足踏み運動に変換し、その橋脚部に仕込んだ鋼製の "Torsion Beam" のねじれ変形でエネルギーを吸収する機構で "SteppingStructure"と呼ばれています。 大自然と調和した勇姿が、創意溢れる創造活動へと私達を勇気づけてくれます。

ニュージーランドの免震建物

ニュージーランドは1981年に鉛プラグ入り積層ゴムを世界で初めて採用した"William Clayton Building"を完成させ、免震建築の実用化に向けて世界的なインパクトを与えました。

またその 2年後には12階建ての "Union House"ビルを完成させています。 この建物は地盤条件があまり良くないオークランド市の海岸沿いに位置しています。 深さ約13mの支持杭を二重管構造のフレキシブルパイルとして周期約 2秒の免震ビルを実現。 上部構造体は外周に配置したブレースで剛性を高め、上部構造体下端部と地盤側固定部の間に鋼製履歴ダンパーを配置しています。 この方式は、関東地震の後1927年に中村太郎が提案した免震構造そのものです。

また1990年には、このフレキシブルパイルとシリンダー型鉛ダンパー "Lead Extrusion Damper"を組み合わせた10階建ての免震ビル "Wellington Central Police Station" を完成させています。

米国の免震建築

米国第1号の免震構造物は、1979年に完成した電力遮断機です。 ニュージーランドで免震構造物の実現に努めてきた若手研究者の一部が米国に移住し、1980年代に入るとカリフォルニアで免震建築実現の機運が急速に高まります。 しかし、訴訟社会の保守的環境に阻まれ、第1号免震建物 "Foothill communities Law &Justice Center" が竣工したのは1986年でした。 バブル経済と期を一にした日本での急速な免震建築の普及とは対照的に80年代後半に実現された免震建築は極わずかでした。 しかし、89年のロマプリータ地震や94年のノースリッジ地震が追い風となって、米国の免震は橋梁・建築ともに着実な普及を示しています。

米国では、庁舎・病院・消防署・裁判所といった社会的に重要な公共建築物から免震を採用していることや、歴史的建造物の耐震性能改善を図る免震レトロフィットの事例が多いことなど優れた免震建築が実現されつつあり、わが国でも参考とすべき取り組みがなされています。

※本記事は「建築技術 1996年6月号」に掲載された内容です。